PEOPLE

一番大事なことは誰と仕事をするのかということ。

有馬 孝大TAKAHIRO ARIMA
高松工芸高等学校 出身

小林 怜央REO KOBAYASHI
香川県立高松商業高等学校 出身

      
TAKAHIRO ARIMA  REO KOBAYASHI

自衛隊出身の元高校球児

有馬さんのおかげで仕事が楽しくなりました。マジで尊敬してます!生き生きとした表情で語ってくれるのは小林 怜央25歳。入社3年目、若手のホープである。高校時代は野球部に所属。甲子園を目指して練習に明け暮れる日々を過ごした。体力はもちろん、精神力を鍛えた高校時代。卒業後は自衛隊に入隊。厳しい訓練と規則を重んじる生活の中で、小林は鍛錬を積んだ。そんな小林がサンテックに入社したのは3年前。心機一転新しい職業に挑む小林に待っていたのは試練の日々だった。

製造部 小林 怜央

体力だけは誰にも負けねぇ。

溶接はもちろん、鉄工所の仕事すべてが未経験。でも体力には自信があった。高校時代自衛官時代と訓練を積んできたのは伊達では無い。鉄やステンレスを扱うサンテックではクレーンなどの機械を使っての作業が多いのだが、手作業にて行う事もある。例えば熱交換器を作る際にパイプを通すという工程がそれだ。

サンテックの作る熱交換器は長さ十数メートルにも及ぶことがあり、体力には自信のある小林だったが、その長さが故に上手くバランスが取れずフラフラしてしまう事が多かった。しかし周りを見ると自分よりも華奢な先輩達が軽々と持ち運び作業をしている。自分だけが上手く仕事をこなせていないという事、唯一自信のあった体を使った仕事も思い通りにいかず、小林は一人悩む日々を過ごしていた。「この仕事続けて行くの難しいかもな・・・」そう考えていた小林に部署異動の通達が来た。そこで彼の人生を変える事となる有馬との出会いが待っていたのであった。

芽生えて来た自信

相変わらず周囲の人に馴染めないままの小林であったが、部署を異動してからは本人の意思と関係無く状況が変わった。ある人物との出会いがそうさせたのである。有馬孝大。この道15年の製造部が誇るベテラン職人。溶接から製缶まで経験に基づいた確かな技術を持っている。

仕事が始まる前、休憩中、業務終了後などの時間に常に周囲に笑いを起こし、自分にもコミュニケーションを取りに来る有馬に、小林は戸惑いつつも徐々に馴染んでいった。有馬との関係が深まる中、小林はあることに気付いた。今までコミュニケーションが取れていなかった他の先輩との関係までもが変わっていったのである。先輩から教えて貰える事があきらかに多くなり、自分から質問する機会もどんどん増えていった。当然、出来る仕事も増えた小林は自信をつけていき、仕事が楽しくなっていった。有馬の存在が小林の世界を変えたのである。

製造部 有馬 孝大

人との出会いが、次の世代の職人を育てる

「有馬さんのおかげですよ!本当に!」そう話す小林に対して有馬はこう言った。「コバ(小林)は仕事を覚えるのが苦手とかじゃなくて、気を使い過ぎて話せなかったり人見知りしているだけだったから、コミュニケーションさえ取る事が出来れば自然に仕事は覚えるやろと思ってたよ。さらに有馬は続ける。

職人って厳しいイメージあるでしょ?でも、そればかりではいいモノづくりは出来ないと思ってます。技術や知識、設備も大事ですが、人間関係においてもいい職場作りをする事が大切だと僕は考えています。若い世代からするとベテランの職人とのコミュニケーションに不安がある方もいると思う。そのせいで、本来教えて貰えれば身につく技術も身につかないままになってしまう可能性もありますよね。せっかく一緒に働く仲間なのに、それってもったいないじゃないですか。」そう話してくれた。有馬の職人魂には経験から身につけた高度な技術に加え、自身も周囲も高めていく心が感じられた。次の世代に技術を伝えていく事を使命とするサンテックにとって、有馬は無くてはならない存在のひとりなのだ。

【取材を終えて】

「最初は有馬さんと働いて欲しい!」小林さんは自身の経験も踏まえてこう話してくれました。仕事も人間関係もうまくできなかったせいで自信を持つ事もできなかった彼にとって、有馬さんの存在が非常に大きな事を物語る一言だと思います。取材陣も取材を進めていくなかで、有馬さんのような先輩がいるサンテックの環境を羨ましく感じていました。
そして、そんな有馬さんを見ながら成長をした小林さんが、いずれ自分と同じような後輩が現れた時に有馬さんの役割を果たす事になるのだろうと。人が育つ環境は人によって作られるもの。高い技術と最新の設備だけでなく、こんな人材が揃うサンテックはまさに最強の職人集団であるという事を改めて認識する事ができました。