PEOPLE 岩﨑 歩美

2022年4月27日
総務部部長の岩﨑がサンテックの取締役に新たに就任した。サンテック内部からはもちろん、取引先からも慕われ、尊敬され、頼りにされている彼女。取締役に就任し、今後も活躍が期待される彼女の魅力の秘密について迫ってみた。

音楽一色だった学生時代

小学校の頃に鼓笛隊に入った事をきっかけに、彼女の青春は音楽一色となった。
中学までは団体で演奏する事が多く純粋に楽しむ事が多かったが、高校に入ってからは個人で演奏する事が多く、周りとのレベルの違いを痛感した。その差を埋める為に、とにかく練習したかった岩﨑は朝練をする為に7時には学校に行きたかったのだが、始発で行っても間に合わないので、両親にお願いして送ってもらっていた。朝練だけではなく、家に帰ってからも練習に励んだ。本人曰く運良く選抜メンバーに入ったという事だが、努力を重ねた結果だという事は明かである。
高校を卒業後、音楽大学に進学。東京に行った方が学べる事は多いのだが、なるべく家から近いところに行きたいという理由から岡山の大学に進学した。大学ではブリティッシュスタイルという金管楽器だけのサークルを立ち上げ、プレイヤーとしてだけでは無く、運営側も体験。いちプレイヤーとしての活動を続けながらもサークルの運営活動に没頭する毎日を過ごした。

何でも楽しくやる!

社会人になった岩﨑は地元警察の音楽隊として好きな音楽に携わりながら、事務職としての一般業務も学んだ。音楽に関しては中学校に楽器を教えに行くなど、充実した日々を過ごしていった。
7年程勤め、国交省の四国運輸局の局長秘書に転職。そこでは自然にビジネスマナーやスケジュール管理をする力などを身につけた。
充実した日々を過ごす岩﨑だが、四国運輸局の契約期間を終了した後、次は長く働ける会社で働こうという考えの元、ハローワークを訪れ、そこでサンテックの求人を見つけたのである。
仕事の内容は、簡単な書類整理、お花の水やり、洗濯といった一般事務で、何より家から近く長く働ける!という岩﨑からすると好条件の塊であった。
入社してみると思っていたよりも仕事量が多く戸惑った部分はあるものの、何でも楽しくやろうという性格もあり、与えらる仕事を楽しくこなしていた。
岩崎が入社した年にサンテックでは大きな動きがあった。現社長である青木大海が社長に就任したのだ。
青木はサンテックをこうしたい!ああしたい!など想いを岩﨑をはじめ社員に話していた。
今では定着した【All for the family】も当時の社員からは批判の嵐。制服に文字を入れるとなると「恥ずかしくて買い物にも行けない」という声が出るほどだった。
それでも青木は止まらなかった。従業員を第一に想うこと、家族を大切にすることが正しい事だと信じていたからである。社長の言っている事が実現すれば、素晴らしく楽しいものになると思った岩﨑は、どうすれば実現するのかを共に模索する日々が続いた。辛く困難な事も沢山あったが理想の実現の為に、そして何より何でも楽しむ精神で岩﨑は働いた。
「このまま走り続けるのは1年が限界やから」という青木の言葉から早9年。今でも走り続ける青木の横で岩﨑は仕事を楽しんでいる。

最強の新役員として

数年前に出産、育児の為に一年近く休暇を取った岩﨑。育休に入るにあたり自分の抱える仕事を総務部の部下に渡して休みに入ったのだが、育児休業明けにその部下の仕事ぶりが大きく変わっていた事に岩崎は驚いた。
判断力や仕事のスピードが格段に上がっていたのである。今まで自分がやった方が早いからという理由から仕事を抱える事が多かった岩崎だが、成長するチャンスを与えるためにも周りの皆に仕事を振ることが大切であると学んだのだ。
取締役に就任するにあたり、今までは青木社長のサポート役に徹する事がほとんどであったが、これからは経営陣と従業員の間を取り持つ架け橋のような役割を果たす事が使命であると岩崎は言う。
経営陣の意見を近くで聞きながら、従業員として業務を全うしてきた岩﨑には適任。
最強の新役員を迎え入れたサンテックのこれからの活躍からは目が離せない。

取材を終えて

﨑さんの座右の銘は【素直・謙虚・感謝】
仕事を素直に楽しみ、周りがいるから自分がいる、そのことに感謝する事だそうだ。
普段一緒に仕事をさせていただいても、こうして取材をさせていただいても、いつもと変わらない岩崎さんがそこにいた。
それは彼女が常に素直で謙虚で感謝を忘れない人であるからだと我々は確信した。