PEOPLE 中村 裕行


1989年にサンテックに入社。製造管理部部長・常務取締役を経て2021年3月に専務取締役として新社屋に移転したサンテックを牽引してきた。
2024年4月。相談役として任命されるにあたり、これまでの軌跡と今後の目標について取材した。

目標を見つけられなかった10年

神戸に生まれ小学5年生で父親の仕事の関係で坂出に引越し。高校は坂出工業高等学校の建築科に進学。
新聞配達ばかりやっていたと中村は当時を振り返る。卒業後は大学を目指し浪人したが挫折。高校時代に学んだことを活かし高松の工務店に就職するも、肌に合わず退職。その後は職を転々しながら20代を過ごした。しっかりとした目標も持たずにいたころ、以前より家族ぐるみのお付き合いをしていた先代の社長からサンテックに誘われた。
1度目の誘いにはあまりに畑が違うことから断ったのだが、2度目の誘いを受けた際にはサンテックの親会社が鉄骨を作ることを始めたことがあり、それならということで入社した。社会に出て10年間、中村自身、振り返ると転職の数に自分でも驚いたそうだ。そんな中村が35年間、変わることなくサンテックで働き続けた理由は誘ってくれた先代への恩が大きな理由であることだろう。

サンテックの成長と大海社長との出会い

当時は朝日町にある工場の一部を間借りしていたサンテック。親会社が受注してきたものを作ることがほとんどで材料の調達等はほとんどやってなかったそうだ。中村が入社してやっていた仕事は「原寸を引く」という作業。現代ではCADを使用することでやらなくなった作業だが、広い床のうえに完成図を描く作業である。
サンテックが平成4年に親会社から独立し綾川町陶の旧社屋に移転。順風満帆とは行かなかったが、高い技術を持った先代や仲間達と共に、多くの壁を乗り越えて会社は少しずつ成長していった。
会社も軌道に乗ったころ、大海社長や大空専務がサンテックに入社。当時のふたりの印象を聞くと、ふたりが初めてトラックを運転する時に助手席で見守った時の恐怖心は今でも覚えていると笑顔で話す中村。お客様のところに営業に行くにしても、技術的なことが分からない大海社長に技術営業として常に同行していた。そこで驚かされたのは大海社長の成長速度だった。お客様が相手でも誰に対してでも、自分に知識が無いことを恥じることなく分からないことを分かるまで徹底的に聞いていった。その結果、どんどんと知識を身につけていき、今となっては中村よりも技術に関して詳しいほどに。この探究心と行動力には本当に驚かされるし、皆にも見習って欲しいことだと中村は語った。

D-COCOTTEを世界に

今後の目標はD-COCOTTEをもっともっと広めて行きたい。日本だけではなく世界に通用する可能性が高いものだからこそ、まだまだやれることがある。これからもチャレンジを続けて行きたいと力強く話してくれた。

取材を終えて

最後に中村さん自身が大切にしていることを聞くと、
「人を育てるにしても、人を変えようとしても、自分を変えることができなければ叶わない」
という答えが帰ってきた。
御年65歳。ひとつの区切りをつけた中村さんではあるが、サンテックの職人魂がめらめらと燃えているように感じた。

2024年3月で引き渡しが決まった旧社屋。中村さんにとって思い出深い場所での集合写真。