PEOPLE 松本 裕哉

溶接職人としての一歩

地元の中学を卒業した松本は、高校には進学せず、職業訓練所に通い始めた。そこでひとりの講師と出会う。溶接協会の役職を肩書きにもつ彼は、日頃からなにかと松本を気にかけてくれた。 
ある日「就職先は決まっているのか?」と声をかけられた。
「いえ、まだです」
「どんなところに就職したい?」
「休みが多くて、給料の良いところがいいです」
「じゃあ、俺のところに来い」
考えるまでもなかった。そして松本はその会社に入社することとなった。

サンテックとの出会い

こうして溶接職人としての人生が始まった。入社した会社に不満はなかった。溶接という仕事は楽しかった。コツコツと作業をすることが得意な自分に向いているとも感じていた。
その会社で腕を磨きながら9年の月日が流れていた。その当時、溶接職人としてもっと成長したいという思いから、松本は転職を考えていた。周囲の職人に相談すると、「溶接が上手くなりたいならあそこに行け」と口を揃えた。それがサンテックだった。松本は訪れたサンテックで先代社長と会い、彼の溶接の技術に惚れ込んだ。すぐに入社を決意した。

ひっつけるだけなら図工、溶接は美術だ。

サンテックの職人には製缶工と溶接工がある。製缶工は図面を元に切断・加工・組立を行う。溶接工は製品の素材や場所を見極めて適切な溶接を施す。
「鉄工は図面を見ながら計算して、理論で正解を導きだすことができます。一方の溶接は、これといった答えがなく、評価も個人によって様々です。だからこそ、自分なりの技術で美しさを追求することができるんです」
松本は自身の仕事についてそう語った。
「先代が言ってました。『ひっつけるだけなら図工、溶接は美術。どこまで美しさを追求できるかだ』と」
サンテックに入社して今年で21年になる。溶接歴は実に30年。それでもいまも溶接の仕事を楽しんでいる。それほどに溶接は奥が深く、「まだ技術を磨ける余地がある」と言う。

取材を終えて

常に冗談を交えながらも溶接のこととなると真剣な表情になる松本さん。同じ男として「かっこいい」、そう思わせてくれる職人さんでした。
松本さんが、今も現役で活躍する先輩の職人たちをリスペクトし、背中を追い続けているように、若手にとっては松本さんが目標とされる存在なのだろうと思いました。世界に向けて職人魂を広げていこうとするその根底には、先輩から後輩へバトンを繋いでいく、そんな環境があるのだと強く感じました。