PEOPLE  中村 聡子

やると決めたらとことんやる!

地元の小中学校を卒業して高松商業高等学校に進学した中村さんはテニス部に入った。スポーツが盛んな高校でテニス経験者が多く居る中、未経験だった彼女はレギュラーには遠く及ばない。負けず嫌いだった中村さんはレギュラーになりたい一心で練習をした。一球でも多く相手コートに返したら勝てる!という理論の元、彼女が徹底的に鍛えたのは足。学校から数キロ離れたテニスコートに皆が自転車で通うなか1人だけ走った。とにかく走る。誰にも負けない体力と走力を身につける為に。その甲斐もあり、3年生になる頃には見事にレギュラーの地位を確立させていった。「私は運動神経は全然無かったので努力のみでレギュラーになりました」元々才能があったのかもしれないが、誰よりも練習した彼女だから言える台詞。やると決めたらとことんやる!という中村さんらしいエピソードである。

できるかできないか?では無くどうすればできるのか!

部活動を終えた3年生の夏。大学進学を控えた彼女はある夢を叶える為に先生のところに相談しに行った。「私、恐竜の化石を掘りたいんです。なので理系の大学に進んで夢を叶えたいんです」それを聞いた先生は大反対。なぜなら彼女の通う高校は文系。理系の大学受験に必要な科目の授業が無かったのだ。先生が反対する気持ちも分かるような気もするが、やりたいと思った中村さんは絶対に止まらない。どうしても受験したいという意思を伝え、毎日毎日職員室に通い、先生を占領して教えてもらった。結果、先生方の助けや自身の努力が実り見事志望校に合格したのだった。
しかし、志望校に進学してからも勉強に関しての苦労は続いた。理系の高校から進学した同級生の中で常に成績は下から5番以内。先生からゴレンジャーと呼ばれる後方の席に追いやられるグループに入っていた。「私はこんな事をやってる場合じゃ無い!どうにか単位を取らないと卒業できないし就職できない。化石を掘りたいという夢も叶わない」そう思った彼女。どうすればいい?と考えた末にいいアイデアが浮かんだ。それは、所属していたテニスサークルの同級生や先輩に勉強を教えて貰う事。サークルのメンバーには数学に強い人や理科に強い人など、色んな生徒がいる。中村さんにとっては全員先生のようなもの。サークル内でテニスの腕前は上の方だった中村さんはテニスを教える代わりに勉強を教えてもらうという算段だ。こうして猛勉強の結果めきめきと学力は上がっていき無事に単位も取得。恐竜の化石こそ発掘できなかったものの、無事に卒業できたのであった。

人事という仕事との出会い

就職活動では実家から自転車で通える範囲内の会社を職種・業種問わず訪問していった中で電子系の製造メーカーの会社と出会った。経営理念も人も凄く良いと感じ、先方からも気に入られて最終の社長面談まで順調に進んでいった。しかし、ここで大失敗をやらかしてしまった。面談の日を勘違いしてすっぽかしてしまったのだ。「せっかく気に入って貰えていたし、入りたいと思っていた会社だったのに」後悔しながらも慌てて謝罪の連絡を入れた。対応してくれた人事の方と話しをするなかで、ある提案をいただいた。それは、エンジニアとしての仕事ではなくなるが人事としての仕事をやってみないか?という事だった。元々エンジニアとしての知識も経験も無く、こだわりもなかった彼女は「はい!やらせてください」と即答。どうにかこうにか合格する事になり、ここから彼女の人事としての仕事がスタートしたのであった。
入社した彼女を待ち受けていたのは厳しい戦いの日々であった。その会社の人事は中村さんを誘ってくれた先輩と中村さんの2人だけ。しかも先輩は人事未経験で自己流でやっていた事から、ちゃんとしたシステムなどは無かった。更にその年の12月に先輩は退職する事が決まっていたのだ。教えてくれる人も頼れる先輩もいない上に社会人1年目の彼女には仕事に関する知識が全く無い。求人票や原稿を書くために必要な項目について、エンジニア部門の部長に質問に行くしかなかったのだが、当時の社員はほとんどが男性で口ベタなおじさまばかり。コミュニケーションが全く取れていない無知な新人の質問に対して答える事無く無視をされる毎日。少し打ち解けて話せるようになってからも、質問の内容がとんちんかんだったのか、皆の前で怒鳴られる始末。新人で頼れる先輩もいない中でこのような仕打ちを受けた彼女は毎日泣いていたそうだ。しかし、普通なら心が折れてしまいそうなところだが彼女は負けなかった。「自分に与えられた仕事は全うするんだ」そう心に言い聞かせ、毎日毎日戦いを挑む覚悟で部長に質問しては怒鳴られるという日々を繰り返していた。その姿を見ていた周囲の社員達の態度は次第に変化していった。一生懸命な彼女を助けたいと思ったのか、色々と教えてくれるようになり、少しずつではあるが知識を身につけていった。仕事の内容などを理解していき、質問の内容もしっかりとしてきた事から、部長の応対も優しくなった。厳しい環境の新人時代をくぐり抜けた中村さんは周囲の皆から応援され信頼される人事担当として成長していったのである。

夢は世界制覇

自己流で始めた人事の仕事を8年弱勤めた彼女は「今の自分がやれる事は全部やった」と言える様になっていた。しかし、人事に関する法律などは詳しく無かった。人事の仕事をしていく中で社外の人間とも付き合いをしてくようになり、もっと法律にも詳しくならないと従業員も会社も守れない!という気持ちが強くなっていった。そんな時、社労士事務所を立ち上げるという人と出会い、勧誘を受けたことで立ち上げに参加した。
社労士事務所で多くの学びをしていく事で、会社の人事として働く人と会社を守れる人事になりたいという気持ちが大きくなっていった。どこかいい会社はないかな?と探している中で気になったのがサンテックだった。特に人事の募集があった訳でもなかったのだが、サンテックの国際的な活動に注目した中村さん。実はこのころ、中村さんには人生の目標ができたいた。それは『世界制覇』一体どういう事なのか聞いてみると、「全ての国の人とコミュニケーションをとり、相談に乗る事が私の夢なんです。だから、サンテックに入れば夢が叶うかなって考えました」ということだった。その予感は社長の青木と面談で話す事で確信に変わり、サンテックの人事として入社する事が決まった。
サンテックに入社して感じた事は福利厚生の素晴らしさだった。ALL FOR THE FAMILY 従業員第一・顧客第二主義。このようなスローガンを掲げる企業は多くあるが、実践出来ている企業はほとんどない。しかし、サンテックは母の日や父の日には家族へのプレゼントを用意したり、夏休みには本社で託児所を用意し従業員のお子様をお預かりするなど、実際に行動していた。「本当にいい会社だからこそ、私が人事として会社と働く人を守りたいんです」そう語る中村さん。やると決めたらやる!という人生を歩んできた彼女の今後の活躍と、世界制覇の夢が達成されるかに注目していきたい。

取材を終えて

人事として、サンテックにはどのような人に入って来て欲しいですか?という質問に対して中村さんは、「自分のやりたい事や夢を持っている人は活躍できると思います。目標が無い人とは一緒に目標を考えたりしたいです」と答えてくれました。

会社のスローガンや仕事の規模も魅力的なサンテックだが中村さんのような人事に守ってもらえる環境で働ける事も魅力のひとつと感じました。そして何よりも、一緒に働く従業員から彼女に向けられる笑顔がとても印象的でした。