PEOPLE アーメル・シャラフ

国外に出たいという気持ちを募らせたシリアという国。

シリアに生まれたシャラフさん。教育関係の仕事をしている両親のもと、3人の兄と妹とともにすくすくと育った。子どもの頃は、現在のおとなしく真面目な性格とは真逆で、いたずら好きのやんちゃな少年だったという。とくに大きな夢や目標があるわけではなかったが、十代の半ばから思い続けていたことがあった。それはシリアの国外に出ること—。彼が少年時代を送った二十年ほど前から、政治家や警察の汚職は日常茶飯事だった。石油やガスなど豊かな資源から生まれる利益は国民に還元されることなく、一部の人たちが独占し私腹を肥やしていた。そんな国の現状に不信感を募らせる彼のなかで、次第にシリアから出たいという気持ちが強くなっていったのだった。

内戦のさなかにシリアからエジプトへ。

2011年、シリアで内戦が勃発した。シャラフさんが24歳の時である。ほんの数キロ先で、火の手があがるのを見た。同時に爆発音が耳に飛び込んできた。この内戦によって、現状までに国民の約568万人がシリア周辺国に避難している。国内では今も約670万人が避難生活を送っており、約1340万人が人道援助を必要としている。この内戦のさなか、彼は幸運にもエジプトで職を得る。採用が決定してからわずか一週間後にシリアを出ることができた。空港に向かうタクシーの窓からは、数キロ先で空爆にさらされる街を見たという。

チャンスを掴み日本へ

シャラフさんにはかねてから気になる国があった。シリアとは違い資源が乏しいにも関わらず、経済大国として成功をおさめている極東の国。日本である。「日本に渡って学んでみたい」、いつしかそう考えるようになっていた。そんな彼にチャンスが訪れる。シリアを出て5年後の2016年のことだった。
日本国政府の政府開発援助を執行する実施機関であるJICAのシリア難民に対する人材育成事業であるシリア平和への架け橋・人材育成プログラム、通称JISRは、シリア危機により就学機会を奪われたシリア人の若者に教育の機会を提供するもの。シリアを出てエジプトで1年、レバノンで4年間過ごしていたシャラフさんにとって願ってもないチャンス。直ぐさま申し込み選考に挑んだところ、見事通過する事ができ日本で学ぶ事とり、日本へ行ってみたいと思い続けていた願いが叶ったのだ。

思い出したく無い孤独で辛い経験

来日してからは大学院で2年間、日本語学校で1年間様々な事を学んだ。日本人の暖かさや豊かな自然に触れながら充実した時間を過ごしたシャラフさんだったが、卒業を控え就職活動をしていくなかで大きな壁にぶつかる事となった。様々な企業の試験を受けたのだが、届くのは不採用通知ばかり。「何故?自分は経験や能力なら負けていないのに、シリア人だから?」と不安な気持ちになり悩んでいた。異国の地で助けてくれる人も相談する人もいない。毎日1人で落ち込んでは立ち直ったりの繰り返し。そんな中でも活動をやめなかったシャラフさんがサンテックが出会ったのは、2018年8月のこと。日本の職人に興味を持ち、ものづくり企業への就職を熱望していたので、サンテックとの出会いはとても嬉しいものだった。青木社長との面談、会社訪問を重ねる内に更に惹かれていった。数ヶ月の期間を経て採用が決まった時は嬉しい気持ちとほっとする気持ちが溢れていた。

サンテックと世界の架け橋になる!

日本の職人、ものづくりに興味があり、製造業で働きたいと思っていたシャラフさんにとって、サンテックで働く事は願ったり叶ったり。入社してからはエジプトやヨルダンでもやっていた調達の仕事からスタートし、現在は製品を検査する品質管理部の一員として仕事をしている。「忙しかった事はよかった。次々に仕事を任される事で書類作成も現場での検査も早く覚える事ができたので」と、前向きな発言からも仕事が充実していることがうかがえる。「今後はどんな仕事がしたいですか?」という質問に「もう一度調達の仕事に戻り、海外との仕事が増えて来た時にサンテックと海外の架け橋になれるような仕事をしたい」力強く将来の事を話してくれるシャラフさんの今後の活躍に注目したい。

取材を終えて

母国シリアは未だ不安定な状態で家族ともバラバラである事が想像できないほど明るく前向きなシャラフさん。写真が趣味で休みの日は様々な所に出向き撮影をしている彼のInstagramからは優しさと温かさ、日本に対する愛情が感じられる。少しでもよい国際社会の実現の為に民間企業である我々がもっと協力的になる事が必要だと感じました。