PEOPLE 木村 卓史

サンテックとの出会い

高校を卒業後、新築やリフォームの内装を扱う会社に就職。学生時代からやってみたいと思っていた内装の仕事につき、特に不満もなく働いていた。
19歳で結婚。子育てがしやすいという理由で奥様の実家のある綾川町に移り住むことに。家族と一緒に過ごせる時間を長くとりたいと、家から近いところを条件に転職先を探したところ、ハローワークで偶然見つけたのがサンテックだった。

三角関数なんて使わないと思ってた

鉄を扱う仕事は全くの未経験で入社した木村さん。工場では、自分よりも小柄な職人さんが多く目についたという。年齢層もわりと高めのよう。しかし、彼らのエネルギッシュに働く姿に「スゴイおじさんばかりだな」と思ったそうだ。
当時は二人一組で仕事にあたっていた。木村さんが組んだのは現工場長の高木さん。ド素人の木村さんは高木さんの仕事を見て学んだ。なにをやるにも必死だった。分からないことがあればその都度聞いた。
最も苦労したのは「三角関数を学び直すこと」だった。学生時代、勉強が嫌いで、三角関数なんて社会に出て何の役に立つのかと考えていたのだが、鉄工の仕事には必須だった。完成図面を見て計算し、それぞれのパーツをどう作っていくか、どの順番で作り組み立てるのかという作業手順を導き出すために必要だった。
経験を積み重ねたことで、今では図面を頭の中でバラバラにして考えることができるようになり、周囲の人からも評価されている。「木村さんに聞けば全部解決する」と言われるほどに。

受け継がれていく職人魂

入社から15年が経過し、現在では製造部の鉄工リーダーとして若手の育成にも関わっている。彼を尊敬する声は多く、とくに若手からは一目置かれる存在になっている。
若手の育成にあたって木村さんが気をつけていることは、「分かりました」という言葉を鵜呑みにせず、彼らに寄り添って教えること。そのためにも「もっとグイグイ来て欲しい」と言う。これを読んでいる若手には、ぜひ積極的に木村さんに話しかけてほしい。
リーダーとして人を育てる一方で、木村さんは自身の向上心も持ち続けている。彼の今後の目標は、まず職人としては、沖野さんのようにオールマイティーで何でもできる職人になることだ。そしてリーダーとしては、高木工場長のように周りを的確に見て判断できるような人になりたい。「人の割り振りなどの判断の速さや、言い方、伝え方についても学びたい」と木村さんは言う。
新人は木村さんの背中を追いかけ、木村さんはさらにベテランの職人の背中を追いかける。こうして、サンテックの職人魂が受け継がれていくのである。